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日光例幣使道〜男体山
    倉賀野(高崎)−楡木(鹿沼市)−今市−日光−中宮祠(二荒山神社)−男体山−志津−湯元

歩行日
    2003/5/23〜28  単独    

コース(各日目をクリックすると日ページに進みます)
 一日目:5/23(金)    高崎市倉賀野町(中山道倉賀野宿、日光例幣使道起点)→玉村町(玉村宿)→
                  玉村町(五料宿)→伊勢崎市柴町(柴宿)→境町(境宿)→新田町木崎(木崎宿)→
                  太田市東本町(太田宿)→東本町交差点
                  33.3km

 二日目:5/24(土)    太田市東本町交差点→足利市福居町(八木宿)→足利市梁田町(梁田宿
                  →佐野市天明町(天明宿)→佐野市犬伏町(犬伏宿)→岩舟町駅入口交差点
                  30.2km

 三日目:5/25(日)    岩舟町駅入口交差点→大平町富田(富田宿
                  →栃木市(栃木宿)→都賀町合戦場(合戦場宿)→西方町金崎(金崎宿)→
                  鹿沼市楡木町(楡木宿)→鹿沼市奈佐原町(奈佐原宿)→鹿沼市樅山
                  29.0km

 四日目:5/26(月)    鹿沼市樅山→鹿沼市石橋町(鹿沼宿)→今市市文挟町(文挟宿)→今市市板橋町(板橋宿
                  →今市市(今市宿)→日光市松原町交差点
                  30.0km

 五日目:5/27(火)    日光市松原町交差点→下・中・上鉢石町(鉢石宿)→輪王寺→東照宮→二荒山神社→
                  馬返→(いろは坂)→華厳の滝→日光市中宮祠(二荒山神社前)
                  15.8km

 六日目:5/28(水)    男体山登山口(日光市中宮祠、二荒山神社)→男体山→志津→戦場ヶ原→湯の湖→湯元


まえおき
 今市の杉並木を車窓から見ていつか歩きたい=A沿道のあちこちで日光例幣使街道の道路表示を見て、昔と現在の道はどう違うのだろう、どこからどこまでなのだろう=Aいろは坂を下りながら点々と見かける石碑や祠を見て昔の人は日光の街から男体山へどう歩いたのだろう=Aと思いながらよく車を走らせていた。こんな思いが重なって、この計画となったのである。

まず、日光例幣使道について、
 群馬県教育委員会発行の群馬県歴史の道シリーズ(12)日光例幣使街道と題するパンフと、
 歴史街道http://www.yumekaido.ne.jp/rekisi/)を参考に1/50000地形図に旧街道を書き込んだ。次に、
 例幣使街道写真集
http://nikko.sainokuni.jp/reiheisi/syasinsyu.htm)と、
 中山道山あり谷あり二人旅http://homepage2.nifty.com/sa-osamu/index.html)、ご夫婦で実際に歩かれた紀行文から、見所を地図上に書き加えて準備を整えた。


参 考
日光例幣使街道群馬県教育委員会http://www.pref.gunma.jp/kyoi/geijutsu/reki_m01.html)の説明によると、『公家衆が京都から日光へ辿った道で、京都から中山道を下って上州に入り、倉賀野から例幣使街道に入り、玉村、柴、木崎、太田の5宿を経て下野に入り日光に至ります。徳川家康が死去し、日光に葬られると、その法要には京都から奉弊の勅使が派遣されました。そして正保4(1647)からは毎年勅使の下向があり、これを例幣使といい、その通る道筋を日光例幣使街道と呼びました。倉賀野宿から下野の楡木に至る90km余りの道です。、と書いてあります。また、旧街道の日光例幣使街道は楡木で壬生通、今市で日光街道に合流しています、また例幣使は通常、日光街道、東海道を復路として京に帰還したそうです。

日光例幣使街道の表記について
現在では、日光例幣使街道、日光例幣使(街)道、日光例幣使道、例幣使街道、例幣使(街)道、例幣使道等の表示がされ、栃木県では鹿沼市までは道路標識に例幣使街道が表示されている、また今市市に入っても杉並木や旧跡の表示に例幣使街道の表示がある。
最近の見解としては、文化財を管理する群馬県の教育委員会では、文献や資料には“日光例幣使街道”の表記はなく、“日光例幣使道”の表記に統一するようにしているが、現状では混在しているそうです。また、道路を管理する国土交通省、環境省、観光協会等は別だとか。


五街道と脇街道:徳川家康は慶長6年(1601年)から全国規模で街道の整備を行っていたが、三代将軍家光の寛永12年(1635年)、武家諸法度に参勤交代についての条文がとり入れられたことから街道整備が進められ、四代将軍家綱の代になって江戸日本橋を起点にした東海道(日本橋から西方沿岸の諸国を経て京都三条大橋に至る街道で、53の宿駅)、中山道(日本橋から板橋へ出、上野、信濃などを経て草津で東海道に合流する街道で、69の宿駅)、甲州街道(日本橋から内藤新宿へ出、甲府を経て下諏訪で中山道に合流する街道で、44の宿駅)、日光街道(日本橋から、千住、幸手、小山、宇都宮を経て日光に至る街道で、23の宿駅)、奥州街道(日本橋から宇都宮を経て奥州・白河に至る街道で、宇都宮までは日光街道と重複し、白河から三厩(青森県)までの街道を奥州街道というようである)の五街道が基幹道路に定められた。日光へ続く街道としては日光街道の他、日光御成街道、日光例幣使街道、壬生通(日光西街道)、会津西街道、日光北街道などの脇街道があり、これらの街道は今市に至る間にすべてが日光街道に合流する。(http://www.bashouan.com/pcNikkouKaidou.htm#b_plc3を引用しました)



  
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